2016/10/24

テケレッツのパ!

今日は、母と、祖母のお見舞いに

行った帰りに浅草へ寄って、

甘味処「梅園」でお茶をして、

別の電車で帰る母を見送り、

わたしは乗り換えがイヤで

浅草から浅草橋まで歩いた。


まだ18時前なのにもう暗い。

賑やかな観光地を離れて

人もまばらな大通りをひたすら歩く。

ひとりで歩くこの時間が好きだ。


帰り道、いろんなことを

考えながら歩いた。


思い出した記憶もあった。

まだ子どものころ、隣町まで

祖母と弟と3人で買い物に行ったとき

わたしはいとも簡単に祖母の手を離れ、

駆け出し、迷子になった。


わたしは不安になって、

なんとか来た道を思い出し、

勝手に電車に乗って家に帰ってしまった。

祖母は相当焦ったとおもう。

母にこっぴどく怒られて、

祖母には申し訳なくて

コタツの中にうずくまって、

エンエン泣いた。


でもおばあちゃんは心配しながらも、

よくひとりで電車に乗れたねえ

すごいねえ、と褒めてくれた。



あれから、もう20年以上経った。



わたしはずっと安楽死賛成派で

できることならわたしも安楽死で

人生の幕を閉じたいと思っている。

死ぬ直前に大切な人を呼んで、

豪華にシャンパンで乾杯でもして

「じゃ!またあっちでね!」

と言ってみんなに別れを告げ、

麻酔かなんか打って

眠るように逝きたい。

理想を言うならば。


だけど今日、認知症の祖母を見て

少し揺らいでしまった。


脳梗塞で倒れてから

初めてお見舞いに行った。

もう寝たきりで言葉も話せないし、

口からごはんも食べられないから

鼻からチューブを通されて

ひたすら栄養を送られるだけ、

きっと目もあまり見えない

耳もほとんど聞こえない、

正直地獄だとおもう。


意識がもっとハッキリしていたら

「もういい加減死にたい」

って言っていることだろう。


それでもね、帰るときに

手を握ったら握り返してくれた。

あったかかった。

手を繋いで歩いた子どものころに

戻ったみたいだった。

わたしのことは誰だか

もうわからないかもしれないのに

目を見てうんうんと頷いてくれた。


おばあちゃんはどんな状態でも

やっぱり変わらずに

わたしのおばあちゃんだった



仮に、安楽死制度が存在し、

祖母が死にたいと言ったとして

わたしは素直に「いいよ」って

言ってあげられる自信がない。

これは本当にエゴだとおもうけど

その選択はあまりにも難しい。


両親からも

「自分が危篤になっても

延命はしないでくれ」

と言われているけれど

いつか近い将来、

選択せざるを得ないときが

くるんだろな。


どんな未来になっているか

わからないけど、

最期くらい美しいものにしてあげたい。



そこへいくと落語はいいですね!

「死神」が選択してくれるしね!

アジャラカモクレンテケレッツのパ!

って言ったら答えがでるもんな。